お墓の歴史

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お墓の始まりは縄文時代

日本では、縄文時代から死者を埋葬する習慣があったようです。今でも日本全国各地で古来のお墓が発見されています。なかでも、青森県の「三内丸山遺跡」は有名でしょう。大規模な大人のお墓や子供のお墓が見つかっています。
弥生時代になると、土器の棺や石棺、木棺で埋葬されることが主流になっていきました。棺で埋葬されることが主流になるとともに墳墓がでてきます。墳墓とはお墓の周りに方形や円形の溝をめぐらしたものです。弥生時代からお墓の規模は次第に大きくなっていったのです。
弥生時代が終わり、古墳時代に入ると、権力者たちはこぞって巨大なお墓を造るようになりました。代表的なものは大阪府の「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」で、その大きさは世界でも最大級です。中国の始皇帝陵、エジプトのクフ王のピラミッドに並び、世界三大陵墓のひとつと言われています。

お墓と仏教の関係

お墓と仏教のつながりには諸説があります。一説によれば、紀元前2世紀に仏教が中国に伝来してからと言われています。当時、中国では儒教が国教でした。儒教では先祖崇拝を行います。仏教が儒教の要素である先祖崇拝を取り込んだことでお墓と仏教に関係が生まれます。
日本では、仏教の伝来と共に、お墓と仏教が結びつきます。奈良時代や平安時代には、寺院が貴族の手厚い庇護を受けており、お墓は上流階級のためのものでした。庶民にもお墓とつながりをもつようになったのは、鎌倉時代から室町時代にかけてです。鎌倉時代から室町時代といえば、武士が台頭するようになった時代です。貴族の没落に伴い、武士を中心に仏教が庶民へ布教され始めたことが関係しています。庶民に広がるのと同じ時期に位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のお墓も造られはじめました。
お墓が庶民と深く関わるようになったのは、江戸時代に入ってからのことです。江戸時代には「寺檀制度」によって、それぞれの家庭がいずれかの寺院の檀家になる必要がありました。寺檀制度の影響により、お墓は日本人の生活の一部になりました。祖先に対する供養や葬儀、仏事に関するあらゆる事柄が生活の中に定着したと言えます。

現代のお墓になるまで

江戸時代では家と関係しない個人墓が主流でした。いわゆる家のお墓が一般化したのは明治時代のことです。明治時代は公営墓地の始まりでもあります。明治7年、当時の東京府の公営墓地として、青山に公園型の墓地が設けられたのがきっかけです。1つ目の公園型の墓地ができると、次々と公園型の墓地が造られるようになりました。民営墓地の始まりは戦後になります。1948年に「墓地埋葬に関する法律(墓埋法)」が施行されたのがきっかけです。4年後の1952年には民間が運営する霊園ができました。
現在では、お墓の形ひとつをとっても家ごとに異なります。時代と共にお墓の形態は変化してきていますが、お墓とは心を向けて付き合っていきたいものです。

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